阪神・淡路大震災から、今日でちょうど17年が経過したとの報道をみて、当時のことを思い出しました。
17年前というと、自分も29歳。実家に戻り家業を継いで3年目の年で、長女が2歳、次女が0歳の時でした。
仕事の傍ら地元青年会議所に入会し、まちづくり運動にも携わるようになり、ボランティアへの意識も高まってきた頃でもありました。
ちょうどその年の日本青年会議所会頭が神戸の方で、不運にも震災で息子さんを亡くされ、そんな状況にも関わらず、天命と受け止め会頭職を全うすると立派に活動されたことには、感銘を受けました。そして茨城にみえた際も、震災時の様子を語られるなど、辛い心境の中で事実を伝える勇気に感動を覚えました。
震災後には常陸太田JCからも、メンバーが現地を訪れ炊き出しなどのボランティア活動に参加する中、自分はどうしても都合がつかず、伺えなかったことに対して、情けなさと申し訳ない気持ちでいっぱいだったことを記憶しています。
ただ、その年の夏には、「鐘の鳴る丘プロジェクト」と題した日本JCの事業で、被災地の子供たちを夏休みを利用して数日間受け入れ、心のリフレッシュをサポートしようといった事業が全国で展開され、幸い常陸太田JCも参画したため、自分も現地に行けなかった分まで期間中、精一杯お手伝いをさせていただいたものでありました。
当時、その「リフレッシュキャンプ」に参加した高学年の子どもたちが、現在は29歳になっているんだなーと思うと、月日の経過の早さとともに、ちょうどあの時の自分の年齢だと奇遇さえ感じたところです。
そして昨年は、阪神・淡路を上回る、未曾有の東日本大震災で、ここ常陸太田市も被災しました。失ったものも多い一方で、震災を経験したからこそ得られたこともたくさんあります。そんな得られた財産を無駄にしないよう、これからの地域づくりに活かしていきたいと再認識した次第です。