被災から3日目。やっと電気が復旧!

藤田けんじ Official Site Blog昨日、緊急に組織した自治災害対策網を活かし、今日は給水支援を中心に朝から活動を行いました。

行政の給水車による支援活動にも限界を生じてきている中、高齢者世帯を中心に、飲料水の配布と、湧水を汲んできての生活用水(特にトイレ用)の提供を地元市民と共に行いました。

また、市の対策本部にも随時足を運びながら、地域の現況を報告するとともに、少しでも地域の方が安心できるよう、電気の復興に向けた進捗状況の確認や情報の提供などに動き回りました。

午前中には、常陸太田市の変電所にも、やっと東京電力が到着し、安全を確認次第、随時電力の供給を行うとの朗報が入り、午後からは念願であった電気が、実に約50時間ぶりに復旧され始まると、あちらこちらで歓びの歓声が湧き上がっていました。

電気が通ることにより、最低限の食事は各家庭で賄えることとなるため、大きな希望への第一歩であり、あとは、1日も早く水が供給されることを願うばかりとなりました。

夕方には、瓦の崩れてしまった友人宅の屋根の補修を仲間で行うなど、日に日に、元気を取り戻しつつあります。

一方、久しぶりにTVからの情報を得られる状況となり、東北地方の驚くべき悲惨な映像を目にし、改めて今回の震災の大きさと恐怖を実感すると同時に、自分達の地域もこれから様々な点で大変ではありますが、東北から比べれば、まだ助かった方だという前向きな気持ちで、また明日からの復興活動に励んでいきたいと思います。

藤田けんじ Official Site Blog 停電がいつまで続くか、解からないため時間を有効に使おうと、夜明けと共に活動を開始。

まず、前夜のラジオで常陸太田市でも一人亡くなった方がいるとの放送があり、知人と同姓同名だったため、昨夜に続き消防防本部に再度情報を確認の後、知人宅を訪問したところ、納屋で作業中に建物が崩壊し、その下敷きになってしまったと家族から状況
藤田けんじ Official Site Blog を伺い、とても辛い悲しみに言葉を失いました。生前大変お世話になった感謝とご冥福をお祈りいたしながら、ご焼香をさせていただき、犠牲になってしまった知人の為にも、少しでもこの被災の状況を復興させようと、その足で、市役所の災害対策本部に立ち寄り、給水はじめ避難所の物資などの状況を確認。

個々人への対応には限界があると感じ、地元コミュニティーとして支援策を考えようと、商店会長さんや近隣7町会の会長さんと協議し、急遽炊き出しをすることに決定。

湧水が出ているとの情報を得、水を汲みにいったり、ガス釜や米、野菜などの食材を地元市民や行政にも提供いただき、町会女性部などの支援のもと、おにぎりとみそ汁約300人分を作り、各町会、班長さん宅に届け、高齢者世帯を中心に配給していただきました。

片付も含めて何とか夕方、日があるうちに終了でき、2日目の夜も、昨晩同様、電気のない中、暗闇での生活となりました。


藤田けんじ Official Site Blog3月議会8日目の11日午後、文教民生員会が終了し、議会事務局にいる時に、今回の震度6強の地震に遭遇しました。

生まれて初めて、まさに立っていられない程の大地震。市役所4階にある議員控室の棚は倒壊し、資料が散乱する中、市職員らと共に、全員屋外へと非難。

外に出ると、市役所庁舎周辺は、地割

藤田けんじ Official Site Blogれを起こしており、改めて地震の大きさに驚かされました。

その後、途中、瓦が落ちてしまっていたり、壁が崩れてしまっている家がある中、帰宅。

幸いに店舗も家の中も、割れたガラスや物が散乱し、悲惨な状態ではありましたが、建物自体は倒壊するなどの災害は免れていたため、家の片づけは家族に任せ、帰宅途中の壁が崩れて路を半分塞いでしまっていた場所や、倒壊しそうな神社の鳥居の応急作業などを近所の人達と行いました。

日が暮れてからは、避難場所となっている近隣4ヶ所の公共施設を巡回してみると、続々と避難者が増える一方、駐車場の車中で一夜を過ごす家族など、様々な状況でありました。

とりあえず自分は、自宅でロウソクや懐中電灯で灯りを確保し、防災無線とラジオ放送の情報を頼りに、いつでも外に避難できような態勢のもと、頻繁に続く震度3~4の余震の中、初日の夜を過ごしました。

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