演劇での思い出…!


とある寄稿文作成のために、劇工房「橋の会」での5年間の思い出を振り返ってみました。
平成18年にちょっとしたご縁をきっかけに、演劇に挑戦することとなりました。
初舞台は自分の娘2人も子役で出演した、明治・大正・昭和と激動の世を懸命に生きた農村の人間群像を描いた「荷車の歌」。独身時代から老いて亡くなるまでの農家の旦那役を演じました。
セリフを覚えるのに、とにかく必死でした。

2年目は、日本でもスタートとなる「裁判員制度」を見据えた題材として、アメリカ映画「十二人の怒れる男」を踏襲した「裁きの庭」。場面転換のない長時間の舞台にセリフのない場面でも仕草で演技をする大切さを学びました。
また、この時の公演は、アメリカのニューヨーク・タイムス紙からも取材を受け写真入り記事として掲載されると共に、イギリスのBBCラジオから取材オファーが入るなど注目の高さに驚きました。

3年目は、冤罪をテーマに徳島ラジオ商殺しを題材とした「証人の椅子」。茨城弁を克服するのもままならない中、徳島弁を覚えるのと併せて、阿波踊りを踊るシーンのために動画を見て踊り方を習得するのに、とても苦労しました。
一方で、遺族のやるせない心境を語る場面では、初めて悔し涙を流せるまでに至り、自分なりに成長を感じることのできた舞台となりました。

4年目は犯罪被害者の遺族をテーマに、光市母子殺害事件を題材にした「阿修羅のごとく」。初めての刑事役に加え、署の一室での場面では、容疑者が逮捕された直後に被害者の家族に対し約6分間もの長台詞に挑戦。
また呑み屋で後輩刑事とビールを飲みながら刑事という仕事や少年法について熱く語り合うシーンは、酒に酔いながらも情に厚い刑事の人柄が伝えられるように演じました。

5年目(平成22年)は、貧しさの中で時代に翻弄され異国の地で忘れ去られていった女性たちに光を当てた「からゆきさん」。
シンガポールを舞台に女郎屋・二十六番館の使用人役を演じると共に、通りすがりの外国人客役と初めて二役に臨みました。特に無鉄砲な性格で威勢の良い使用人役は、その雰囲気が伝わるように努めました。
自分にとっては最後の出演となる舞台で、偶然にも最後のセリフが、「じゃ、お別れですね、あっしも?」「お達者で」「みなさんもどうぞ」と深々と頭を下げて去るシーンとなり、あまりにも現実と重なり合う別れ言葉に、自分は勿論、他の出演者の皆さんも涙してしまうなど感極まる思いでした。

今、振り返ってみると、学生の頃の部活動のような厳しい稽古は、懐かしくもあり、また新鮮でもあり、心地よい緊張感のある空間を体感でき、真剣に取り組めたように思います。
そして5年間にわたる経験は、滑舌や感情移入など、その後のスピーチやプレゼン、司会など人前で話す際に大変役に立っており、素晴らしい学びを得ることのできた貴重な機会でありました。

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