最初の訪問地である、陸前高田市へと車を走らせた。
一関I.Cから、現地へ向う途中、山地を抜け平地がひらけた途端、目に入った光景に衝撃を受けた。
まだ、海(広田湾)までは5kmもある地点なのにも関わらず、津波の形跡が・・・。
最初は目を疑ったが、車を止めて近づいて見ると、大船渡線の線路も破損し、瓦礫が散乱していた。
この地点でも既にこんな状況ということは、この先どんな光景を目にするのかと思うと正直、恐ろしさを感じた。
その後進行するたびに、やはりその光景はどんどんすごい状況となっていた。
※今回は写真が多いため、ここからは写真の解説方式で報告します。(以下16枚)
気仙川流域(広田湾から約3km地点)川岸付近の家はほぼ崩壊)
国道340号線沿道には、大破した車両が放置されていた
支援物資を届けたお宅の中野(中央)さんと、大阪のNPO代表間島さん(右)、そして、今回誘っていただいた同行者の西野県議(左)
中野さんは塗装業を経営し、店舗は今回の津波で流されてしまったが、自宅は高台にあったため助かったということで、地元中学校のPTA役員も務め、知人や従業員など家を失った方など、約30人を自宅で受け入れ集団生活をしている
ちょうど前日、間島さん達のNPO団体が、ここ竹駒地区の皆さんにとコンテナを改造したお風呂を大阪から運び込み、市内全域がまだ断水状態の為、家の脇を流れる沢から水をくみ上げ明日から地域の方に入浴してもらえるようにと準備を進めていた
コンテナの内部は檜造りの浴槽に脱衣所まで完備されており、今回、全国美容週間茨城地区から提供いただいた、シャンプーやボディーソープなどが大変喜ばれた
地元の中野さんの案内で、各施設をまわった。
陸前高田市の戸羽市長(右)、今年2月6日に初当選したばかり(46才)。人口25,000人のうち、約10分の1にあたる2,400人が死亡・行方不明と岩手県内でも最大の被害を受けた。市議会議員も2名が死亡、市長の奥さん(39才)も4月5日遺体で発見。家も失い息子2人を親戚に預け、連日対策本部に寝泊まりし指揮をとっている
最大規模の避難所となっている第一中学校。現在も1,500人が避難生活している
体育館内は約2畳づつにダンボールで仕切られ、多くの世帯が所狭しと生活をおくっている。インフルエンザやノロウイルスなどの感染症も心配されている
校舎中庭にある、炊き出しスタッフのテント
校舎1階には日本赤十字社の医療スタッフが部屋を間借りし、診療所として利用
運動場の一角に建設された仮説住宅。4月9日から被災地初となる入居がスタート。6棟36戸に1,160件の応募があり抽選で36世帯のみ。29㎡のプレハブ、2DKで風呂・トイレ・エアコン付き。入居は原則2年間。
生徒数298名の第一中学校・佐々木校長。、4月20日の再開に向け準備を進めているが、医療施設と学校は同じ場所では感染症等の恐れから認められないとの国の判断に苦慮している。避難者とは共存の方針とのこと
廃墟となった駅前の市街地。中野さんの店舗もこの一角にあったとのこと。
予想以上の光景に言葉も失うといった心境に・・・
瓦礫を寄せて物資輸送のための道のみ確保されていた
鉄筋の建物も内部は全て流され骨組みだけが残っている状況。
奥に見えるのが市役所庁舎。
陸前高田市は平地全てが今回の津波で壊滅状態となってしまったとのこと
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